『思い』と『想い』





好きで、好きで、本当に大好きで。
こんなにも恋焦がれ、身悶え、心を激しく掻き乱される。
誰あろう、あなたの為に。


恋愛は楽しいものだと思っていた子供の頃。
実はそうではないという事に気付かされたのは、それから間もなくの事。
淡い淡い、パステルのグリーンとピンクが混じり合った様な初恋で、
ほろ苦い想いを味わいました。
それまでの恋愛は、恋愛と呼ぶにはいささか幼過ぎたけれど、まだまだ子供だった事もあって、
好きな人と想いを通わせる事は、それ程難しい事ではありませんでした。
というより、当時の『恋』は、自分の事を好いてくれる人を好きになるという、
あくまで受身の恋。
思えば、随分早くに訪れてしまった我が身の春でした。


思春期にさしかかって以降の恋は、実ったもの、実らなかったものと多々あれど、
どれもこれも泣かされてばかりでありました。
でもこれが、『恋』なのかも知れません。
何の障害も無くスムーズに事が運ぶ時もあるのでしょうけれど、
大半の方々がそうである様に、戀子にとってもそれはなく。
けれど、そんな色々を重ねた先にある恋は、何よりも味わい深いと思うのです。


好きで、好きで、本当に大好きで。
そんな風に思える人と出逢えた事を、先ずは幸せに思いたい。
好きになれば身も心もその人と結ばれたいと思うのは、それは自然の事。
望む通りになったとしたら、本当に本当に素敵な事でしょう。


そうはいっても、全てがそうなるかといえば、当然の事ながらそうではなくて。
どんなに恋焦がれる相手であっても、波長が同じ方向へ進んでいない時には、
どれだけ想ったところで繋がる事はない。
たとえ繋がったとて、無理矢理繋げて走ったならば、
いずれ歪みが出てしまい、そこから脆く崩れてしまうでしょう。


自分1人では進めない恋愛だからこそ、相手をどれだけ思えるか。
『想う』事と『思う』事とを同時に行わなければならないという事を、
愛する人から教わりました。


それまでは自分の気持ちばかりを優先させておりました。
だって好きなんだもの。それで良いじゃないのよと。
勿論それは、突っ走るという意味では大事な事なのだけれど、
突っ走るだけ突っ走って、相手の首を締めて追い詰めてしまう様では、
相手はただ苦しいだけ。
自分の気持ちを判って欲しいという、 ある意味では純粋な気持ち故の『自分優先』なのですが、
それは自分の勝手でしかないのですよ。
そこに相手の心はない。


自分にも、そして相手にも、色恋以外の時間があって、
そこでは知らない時間を過ごしている。
自分が知らないその時間の中では、相手の別の顔があって。そこで望まれる立場があって。
そういう事を考えていくと、どうしても自分の気持ちだけでは進められなくなってしまいます。
知らない幾つもの時間の隙間に、自分の存在を少し想い出して貰えれば。
存在を気付いて貰えれば、それだけで先ずはオッケイだと思うのです。


自分が起こした行動に対して、どういう反応があるかは夫々。
決して望まない反応であったとしても、
少なくとも意識はして貰えたという事は、何もしないで忘れられるよりはずっと良い。


何かに突き動かされる様にして動きたくなる時は、そこに身を委ねた方が良いと思うのです。
自分以外の見えない力が、動けと云っているのだから。そういう野生は大事にしたい。
考えるよりもずっと信じられるから。


楽しい、嬉しいばかりが恋愛ではない。
つらくて何度も泣いたあの夜さえも、
今に到る通過点であったとしたなら、過ごして良かったと今では思える。
色んな事があった先にある恋愛は、フラットに進んだそれよりも、遥かに味わい深くなる。
『そういう事もあったよねぇ』なんて、いつか誰かと話す事が出来れば、最高なのではないかと思う。


長い事、心の底から好きになれる人と出逢えなかったからこそ思う。
愛する事が出来るのは、結ばれても、結ばれなくても、幸せな事。
自分以外の誰かへと向ける温かな感情を、沢山泣きながら大事にしたい。







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